戦場には色が少ない。猛る炎の赤と、噴く血の赤だけが、視認できる唯一の色である。 それ以外はまるで塗り壁のように平坦で、いつでも病人の相貌のような土気色をしている。 血あるいは炎の赤色に染まるときだけ、それらは水を得た魚の如く輝きを取り戻すのに、輝いたままぴたりと死んで仕舞う。赤は命を与え、その代償として生命を奪う。 我が主信玄公は見える赤の中でも一際鮮やかに映るが、それもやはり同じ赤なのだ。 つまり俺は長い間赤色以外を戦場で見ることがなかった。
奥州が覇者の鮮烈な蒼に出会ったとき、だから俺は感激した。 赤以外の色を纏った強き者の織り成す色彩に酔いしれたものだ。ところが最近はどうもそれもくすんで見えるようになった。
蒼の傍らで、炯々と光る大地の色が、相見える度に目映さを増していくのを悟ったからだ。 彼の放つ霊気にも似たそれは、肥沃な土と同じ地味な色で、しかし一陣を吹き抜ける風を思わせ、何物をも寄せ付けぬ、何物にも侵されぬ、絶大な自然の色を有していた。 竜の片目を自負するその男は喩え如何様なる修羅場に於いても常に冷静沈着に佇み、読み難い時の流れを見事に読む。 敵国であり主の好敵手である俺に向ける両の瞳からは澄んだ水の流れを思わせる光が迸る。 一体何を思うておられるのか、若く浅はかな俺にはとんとわからない。 兵には何度も相対したが、あの人のようなもののふには只の一度も出逢うたことがない。 それ故、いざ話す機会が巡ってきても、何を話せばいいのか戸惑うことしかできず、ひどく歯がゆい思いを強いられる。
一旦気付いたその色は、見る間に存在を拡大し、今では蒼を遙かに凌ぐ眩しさを以て俺に侵食する。政宗殿と対峙している時でさえ、視界に彼の色がちらついて離れぬ。苛立ちを覚えもするが、それ以上に彼の姿は悠然としていて、雄々しく、何よりも美しかった。
そう、彼は、片倉小十郎という男は、どんな女よりも一等美しい。
今まで目にしてきた美女や美少年と謳われる者どもなぞまるで塵芥だ。彼らには何かが決定的に欠落している。 それは恐らく強さだ。美しさだけでは俺の魂は一寸も漲らない。 逆を言えば、強さだけでは、この高揚には敵わないのだ。俺が有している熱は、今まで強き者と相まみえた時に感じた其れとは明らかに種を異にしている。誰に対しても抱いたことのない劣情ともとれる思い。俺は彼と戦いたいわけではない、彼の完璧な身体を無闇に傷つけることなどしたくはない。出来ることなら近くに寄り、肌に触れ、隆起する肉の味に舌鼓を打ちたい。その深淵に何を隠し持っているのかを知りたい。主の為にと押し殺し続けた狂気と欲望を見てみたい。清廉な人間の皮を剥ぎ、感情のままに叫び蠢く彼をおびき寄せて釘付けにしてやりたい。 斯様な想いが、戦の愉悦のみに溺れることをよしとしていた俺のような男にも存在していたとはついぞ知らなんだ。凡そこれは前田の風来坊が言うところの恋であろう。俺は初めて身を焦がすほどの恋情に巡り逢った。欲求は日々獣のように唸り、身体の中で驚異的に成長していく。 恋とは破廉恥で不必要なものだという信念は見事に打ち砕かれた。戦場でしか味わうことのなかった情動を、彼を夢想するだけでいつでも感じられるのだから、これはとても便利なものだ。
いっそ禍々しいまでの俺の恋情は、滝を登る鮭にも劣らぬ勢いでこの血潮をひた走る。城下町を歩いていても、甘味を食しているときも、目はいるはずもない彼を見、耳は聞くはずのない彼の声を聞く。あああの人が此所にいたのならどんなにいいか。どこを見渡せども彼に匹敵する美しさを持つ者はいない。乾きの癒えぬ喉を持っているような、この感覚はきっと絶望に似ていると思う。 遠き奥州の地で、彼の美しさを分からぬ下等な民草がその姿を目にしているというだけで腹が立つ。嗚呼、手に入れたい。抱いてみたい。きっと嗅いだこともないほどの芳香に俺は死んで仕舞うだろう。だがどれほど想っても、彼はあの寒いだけの地を、若いだけの主の傍を離れることはけしてない。彼自身が誓った言葉の呪詛が、他でもない彼を縛り続けて放さない。こんなにもただ一人あの人だけを日々想っておるのに、こんな理不尽はない。戦場では人を多く殺せば武勲も上がり、相応の報いを手にすることができるというのに。歯痒い。俺ほどにあの方を想う者なぞいない、いてたまるものか。一等自分を想い慕う者の下にいることが、彼の本来手にするべき幸福であろう。家臣としてしか見ていない男の所なんかよりも、俺の所の方がずっといい。可哀想に、あの方は気付いておらなんだ。自らの不幸を幸福へと昇華して生きているということに、気付くどころか、疑いもしていない。不毛の地奥州に余所へ移るというお考えすら抑圧されているのだ。あそこは地獄だ。
ならば、俺が救って差し上げなければなるまい。誰でもない俺が、あの方を呪縛から解放して差し上げねば。ああそうだ何故こんな簡単なことに気付かなかったのだろう!奥州を無に帰す言い訳なぞ掃いて捨てるほどあるではないか。きっと恋に溺れるあまり、まともな思考が働かなかったのだ。俺はやはりまだ若輩者だ。敬愛するお館さま以外の為に戦をすることになるとは想像さえしていなかったが、これこそが教えられた自らの志の為の戦ではないか。
片倉殿のための戦は即ち俺自身のための戦でもあるのだから。斯様に優美で寓話めいた大義があるとは。
美しい彼の魂ごと救済する日が、待ち遠しくてならない。