*
「小十郎、お前は奥羽のために死ねるか」
片倉にはもうこの言葉しか、思い出として残されていない。
それは気が遠くなるほどに大昔の言葉で、だというのにちっとも色褪せず、思い出す度まるで耳元で囁かれているように思えるほどだ。
凡庸とも取れるぐらいに穏やかで優しかった彼は、小姓であった己の身分に余るほど幾度となく労いの言葉をかけてくれたというのに、記憶の海に残骸として漂う言葉はただのそれだけだった。
どうにも血を浴びすぎたのか、汚濁を呑みすぎたのか、片倉の身体の中に広がる海は真夜中のごとく真っ暗で、
何が浮いて何が沈んでいるのかも分からない。
ただその言葉の一片だけが、時折気まぐれにちらりと海面に光る。
その度に片倉は応える。無論、と。
貴方が治める国の御為なれば、どんな苦渋も汚辱も甘んじて受け入れましょうぞ、と。
たとえそれが、貴方を殺すことであっても。
何度も繰り返した誓いは、いつか片倉の血肉と成り、正気を繋ぎ止める唯一の枷と相成った。
逆境に苦しんでいた若き日の自分を救った人の、淡泊な望みを叶えるために、現に片倉は一心に働き、嫡男であり現筆頭の藤二郎政宗に周囲から驚かれるほどの忠義ぶりを見せている。
日々をうら若い彼と過ごしていると、本当に最初から己には政宗しかいなかったような気になって、 早々に隠居したかつての飼い主の存在は薄れていくが、不意に啓示のように片倉の頭の中に、例の言葉が蘇って彼をはっとさせる。
愛して呉れたわけでもない。きっと儀礼的なものなのだ、小姓に手を着けるということは。
そのくせ触れる手は優しすぎた。だから今も不要な感情が片倉の中に燻っているのだ。
自分は一体、本当のところは誰に、何に仕えているのか。
伊達家なのか、奥羽という国なのか、藤二郎政宗なのか、それとも。
一言の思い出しか残してくれなかったくせに、あんたの影は強すぎるんですよ、輝宗さま、と最後には片倉はあろうことか心中で昔の主人に唾を吐きかけるのだった。
*
その夜に畠山が人質を手土産にやって来ることは、政宗も知るところだった。
奥羽との和睦を取りなしてくれた実父である輝宗に感謝の意を述べるためだという。
父が家督をわずか四十一の若さで自分に譲ったとき、政宗は父の決断を英断とすべく周辺の豪族へ容赦なく波状攻撃を始めた。
父は勢力拡大への野心に乏しく、だからこそ自分が代々受け継いできたこの家を奥州全域、果ては日の本に知らしめようとひたすらに前進してきた。
畠山はそんな政宗の攻撃に晒され、戦うどころか和睦を申し出てきたのだったが、政宗はこれを退けた。
するとあろうことか畠山は隠居の身である父に、取り為しを頼み込んだのだ。
優しすぎる父は敵に憐憫をかけ、政宗に畠山との和睦を説得した。
何で、と若く荒々しい政宗は憤慨したが、他でもない父の頼みである。人質として、畠山の子息梅王を宮森城に置くことで承知した。
それでも政宗は、心の内に引っかかるものを感じずにはいられない。
本当に父は優しすぎるのだ。
片目くらの自分に期待をかけ、幾ら周囲が家督を弟にと言っても頑として自分を継がすと主張してくれた。
如何様なときにも自分を信じ、支え続けてくれた。
もっと厳しく当たった方がいいのではないかと政宗自身思ったことのあるほどだ。
しかし父が優しいのは自分だけにではない。
才ある者と思えば生まれ育ちなどに囚われず、誰でも受け入れ、助言をよく聞いた。
その最たる者が、今や竜の右目と謳われる片倉小十郎だ。
小さな神社の息子でありながら、嫡男である政宗の守り役に抜擢された。
それ以来、彼は政宗にとって欠かせない存在だ。
守り役として、剣術の師として、軍師として、もっと言えば更に感情的な部分においても。
だってそんなのはunfairだ、と政宗はいつも思う。
一番辛い時期に傍にいて、腐った右目を殺して、幼い頃も現在もきっとこれから先も、ずっと隣にいる相手が、
自分の人生の全てにならない道理がない。
自分が慕うのはこの男だけだと漠然としかしはっきりと、片倉小十郎という男は無意識の最深部にまで浸透している。
まるで用意されたみたいに。
用意、そう正に、小十郎は用意された男なのだ。父の手によって。
小十郎は自分がまだ人間として成立していない時期、ずっと父の小姓だったという。
誰に聞いたわけでもないが、今自分と小十郎が持っているあまり大きな声では言えぬ関係を、父ともまた持っていたと、
政宗はほぼ確信していた。
小十郎は、父の所有物だった。
もしかしたら、相まみえることはなくとも、身体を重ねるのは自分とであっても、今も左様なのかもしれない。
「筆頭!!」
鷹狩りの最中に妙な思案に耽っていた政宗を現へ戻したのは、尋常でない様子で駆けてきた部下の悲鳴のような呼び声だった。
「どうした」
何やらただ事ではない様子に、政宗は嫌な予感がした。
いの一番に頭に浮かんだのは、今宵宮森を訪れているはずの畠山善継の存在だ。
それは同伴していた片倉も同じのようで、彼の電流のような殺気がびりびりと少し前方にいる政宗にも痛いほど伝わった。
かくしてその予感は的中することとなる。
「て…輝宗さまが…畠山に捕らえられました!!」
部下が変事を伝えた瞬間、示し合わせたように鷹が五月蠅く鳴いた。
その鳴き声のせいで、片倉の放つ殺気が少しかき消えたが、鷹の声が止んだときには少し呑まれてしまうほどに大きく、
禍々しく成長し、辺り一体を包み込んでいた。
「…小十郎」
どうして声を掛けたのか、政宗自身よくわからなかった。
凡そこの状況に相応しからぬ、青い好奇心だろうか。
常に冷静なこの天才とも呼べる軍師は、一体父の窮地にどういった反応を返すのか。
しかし彼は、放つ空気とは裏腹に、いつも通りの頼もしい精悍な顔立ちで、政宗の考えを全て承知しているとでもいった澄んだ実直な目をしていた。
政宗はそれに少しがっかりとした。
(…俺は、こんな時に何を)
焦燥と憎しみに濡れた彼の瞳を見てみたかった。
それが主である自分でなく、父に向けられるものであっても。
人間臭い片倉を見たかったと、政宗は確かに思った。思ってしまった。
「…政宗さま」
片倉の声音からは何も汲み取れなかった。ただ緊迫しているというごく当たり前のことしか分からない。
彼が今何を思うのか、知りたいようで知りたくなかった。
ともかく、政宗は片倉の呼びかけには答えず、一瞥だけを片倉に向け、部下に先導させ愛馬を父の元へ走らせた。
政宗が現場である高田に辿り着いたときには、両者の緊張は弾けんばかりに高まっていた。
畠山は父の胸に刀を突き付け、じりじりと歩を進めており、武装した伊達の兵たちは攻撃を加えられずひたすら畠山の後を
追っている状況だ。既に宮森からは十里を過ぎている。
十里もこんな状況で過ごしたのか、と政宗は愕然としたが、弓の一本でも放てば直ぐに父の胸は引き裂かれ簡単に果てるだろう。
無闇に攻撃できないことは一目瞭然だ。
「Shit…!何てザマだ」
馬も異様な空気に興奮し、ぶるると鼻息を鳴らす。
政宗と片倉が到着したことで、兵たちは俄に安堵したのか、少しだけ緊張が解れたが、それも一時のことだった。
「畠山の郎党は若干名…数では此方に分があります。なれど、輝宗さま…人質を無事救出できるかどうか」
片倉がわかりきったことを言った。
政宗が横目で彼を見ると、僅かに焦れた風に歯を食い縛る片倉の横顔が視界に映った。
父を人質呼ばわりしたのは、あくまでこれを軍事作戦として把握しようとしているからだろう。
ここで感情的になれば、片倉はこのまま馬を突進させてしまいかねない勢いだ。
それは彼の顔に出ているのではなく、全身から滲み出る霊気として政宗を覆う。
長く共にありすぎて、彼の芯が大幅にぶれるのが、手に取るように分かってしまう。
先程までは何を考えているのか、微塵も読み取らせてはくれなかったくせに。
しかし実際問題、政宗にも解決策がなかった。
父を救い出し、畠山を討つ方法など、どこにもありはしない。
だが、眼前の雄大な阿武隈川を畠山が越えてしまえば、二本松は果たしてあっさりと落城してしまう。
敵方にすれば無血開城で、不戦勝と言ってもいいかもしれない。
城を落とされればこれを機に畠山の猛追が始まるのは自明である。もう時間がなかった。政宗はひどく焦った。
途端、聞き慣れた穏やかな声が、今まで聞いたこともないほどの大音声で自分を呼んだ。
「政宗」
大きな、しかし鷹の一声のように凛と気高い父の声。
「撃ちなさい」
瞬時に場が凍り付いた。川ですら流れを止めたかのようだった。
血の気がざっと引くのが分かった。自分を殺せ、とそう言うのか、息子である俺に。
情けなくてたまらないが、手綱を引く自分の手がぶるぶると震え始めるのを政宗は感じた。
それは武者震いでも何でもなく、純粋な恐怖から来る震えだった。
頭では、この状況では父共々討つことが最早唯一できる選択であるとわかっている。
しかしできるはずがない。尊敬するただ一人の父を、この手に掛けるなど。
父を殺せば、自分が一体どうなってしまうのかわからない。
幾ら己が伊達家現当主であり、奥州にその名を轟かせつつある武将だとしても、独眼竜のふたつ名を持っていても、
自分は紛うことなく人の子だ。父を殺すなど人の子には出来仰せぬ。この身体には、真っ赤な人の血が流れている。
今正に目の前で命を投げ出す男の血が。
父を殺せば、俺は人でなくなる。尊厳を持つことを許されなくなる。
身に巣くう得体の知れない、竜の形をした修羅に捕まってしまう。
「政宗、…筆頭、撃ちなさい!」
父の怒声に、政宗はまるで咎を受けた子供のようにびくりと肩を反らせた。
誰かに、何かに縋りたくて、助けを乞いたくて、政宗は半歩後ろに構えている己が半身を振り返った。
片倉は、政宗を見ていなかった。
彼は、まるで知らない男の顔をしていた。
顔面は蒼白で、真っ直ぐなはずの双畔は様々な色彩の感情で彎曲しきっている。
それら全てが、他でもない、輝宗だけに一心に注がれていた。慟哭しそうな、幼子の顔だ。
庇護の対象である存在の政宗にはけして見せたことのない、
恐らく自分の生まれる前、父にだけ見せていたであろうその表情。
自分は一生掛かっても手に入れることのできない、自分が生きることを許されなかった時間に生きていた彼の想い、感情。
知らされることも、知ることもできない。
どんな名誉や財宝を手にしても、数多の国を手中に収めようとも。
政宗は眼帯の下に、片倉に抉り取ってもらった筈の腐った右目がまた生えてきたような錯覚に陥った。
そして、右目は姿を変え、体内にまで侵入し、臓腑を燃やし、血管の中で暴れ狂い、やがて政宗の思考を奪った。
身の裡のどう猛な竜がおぞましいほど優しく囁く。
梵天や、父を撃てば、あの目が手に入るかもしれぬよ。
焼いた刀で胸を引っ掻かれるような感覚と、高揚。
鼓動が地震のように旋毛から爪先にまで響く。
小十郎の、全てを、記憶も感情も思考もその、両の眼も、手にしたい、地獄に墜ちても、構わぬ。
父上、父上、あなたは俺に全てを譲ってくれた。
なのに此奴の心だけは、譲り渡してくれなかった。それって、少し、不自然だ。
ならば今貰い受けよう。今度こそ全てを余すことなく譲り受けましょうぞ。そう。御命さえも。
あなたに焦がれて止まない男の心根も、父上あなたのお持ちになったもの全て、竜の血肉となるがいい。
政宗は徐に、背の鉄砲を敏速な動きで構えた。鈍色に光るのは血に飢えた竜の牙か。
震えは疾うに消えていた。
「全軍進撃!!」
鷹を撃つ代わりに、捕らえられた父に向け、鉄の玉を放った。
どさりという重い音と共に、父の身体は、彼の愛した奥羽の地に崩れ落ちた。
それはほんの一瞬の出来事であったが、政宗には、弾丸が描く軌道までもがくっきりと見えた。
父の身体にたった一つのちっぽけな鉄槌がめり込み、彼の人生を裂き、この世に二つとない尊い生命を奪う様が、
網膜にまで焼きついた。
畠山が狼狽しているのを好機とし、一斉に伊達の郎党が進軍し、一瞬で夜の川辺は地獄絵図と化した。
政宗も馬を全速力で進ませ、畠山の眉間目がけて発砲した。あっさりと、諸悪の根源は死に絶えた。
もっと苦しませてやりたかったが、この状況でその願いは叶うはずもなかった。
「一人も生きて帰すな!!」
敵将を討ち取り、勝ち鬨を上げるかと思いきや政宗は地獄の底から響くようなおぞましい声音で吠えた。
父が死んだ次の瞬間から、此は弔い戦に姿を変えた。直接手を下したのは政宗自身であるとしても。
ある意味でこの時、政宗は自分を殺した。生き血の通った人の子政宗は父と共に死んだのだ。
竜が、人に非なるものが、政宗という青年の精神をも支配した瞬間だった。
それでもさんざめく怒声と、刀のかち合う音の狭間で、二度と聞くことのないはずの父の優しい声が聞こえた気がした。
梵天や、お前はそれでいい、と。
*
片倉はひとつ大きく息を吸い込んだ。
眼前には輝宗の骨の一部が埋まった墓がある。
政宗は寺を建立する予定を立てているらしいが、何を思ったのか、好きなところに埋めろという言葉と共に、輝宗の骨の
一部を片倉に譲り渡した。片倉は低頭して恭しく其れを受け取った。
自宅の庭に墓を作るのは気が引けたので、古い記憶を辿って、故人が愛した小高い丘に小さな墓を建てた。
およそ元伊達家当主のものだとは思えないほどに、石を積んだだけのみすぼらしい代物だったが、訪れるのは片倉だけなので
さほど問題ではない。
墓碑さえ作らなかったのは、この場所に輝宗が、かつて自分が思慕を寄せた相手が眠っていると誰にも知られたくなかった
からだ。それは別に過去を清算したいというわけでも、彼を思い出したくないというわけでもない。
生前にはけして許されなかった伊達輝宗という男の独占という浅はかな行為を、しかし希っていたことを、
片倉は最も悲しむべき形で実現させたかった。
輝宗が亡き者となった夜のことを思い出す。
元凶であった畠山を討ち取った後も尚、政宗は狂ったように鉄砲玉を放ち、一人残らず殺し尽くした。
その姿はまるで、不本意ながらも父を殺したことへの罪滅ぼしのようにも見え、あろうことか片倉は彼に憐憫をかけた。
だから政宗が、平生ではけして行わないようなむごい仕打ちを畠山の遺体に施したときも、さして驚きはしなかった。
藤で遺体を吊るし上げ、無言で何度も刀を振り下ろし、切り刻んだ。
畠山という男に、人間の原型を留めることさえ許さなかった。
返り血を浴びた若い主は修羅のようでもあり、同時に右目を無くした頃の感情のない陰鬱な幼子のようでもあった。
おかわいそうな政宗さま。
片倉は同情を禁じ得なかった。
輝宗を殺したのは他でもない彼であるのに、片倉は殺された輝宗のことよりも政宗が不憫でならなかった。
それは結局のところ、片倉は誰にというわけでなく、伊達家そのものに仕えているということの裏付けでもあった。
案じた通り、彼を忌み嫌い家督の座を奪還せんとしている政宗の実母義姫は、今回のことを必要以上に騒ぎ立て、
政宗の謀略を声高に訴えている。彼女に賛同する者と、政宗を擁護する者とで、今家内は荒れに荒れていた。
それを見越していたのか、明日からの遠征の下知が事件の後すぐに政宗から下っていた。
お陰でどうにもここ最近は忙しく、ゆっくり墓前に花を供えることも今日までできなかった。
政宗にも再三に渡って伝えているが、あれは英断だった。
あの状況下では他に選択肢はない。よしんば輝宗を救出できたところで、二本松は落城していただろう。
そうなれば、輝宗一人の死よりも更に悲劇的な結末が我々を待っているに違いない。
それが軍師として、伊達家に仕える者の一人としての片倉の意見だった。
それにしても、涙も出ないままなんて。
唯の一度も、輝宗のために泣くことができなかった。
とうに自分は輝宗でなく、政宗のものとなっていたのだろうと片倉は思った。
ならば、と片倉は首を傾げる。
この痛みは何なのだろう。心に淀むこの禍々しい暗曇は一体。
けして気に病むまいとしてきたが、墓前に立ったときからじわじわと身体中に侵食し始めている。
と同時に、無意識に蓋をしていた故人との思い出が無遠慮に湧き出てくる。
だから此所へ来るのは間違いだと思ったんだ、そのために無用の執務もこなしていたというのに。
暫く奥羽を離れるのだから一度くらい、と義理立てした自分が愚かだった。
ずっと思い出せなかったことばかりが、二度と会えなくなってしまった今になって、鮮烈に蘇って
片倉をぐらぐらと揺るがした。
きっと思い出を保有したままでは、政宗に仕えることが困難だったから、いつの間にか忘却していたんだろう。
そうするしかないぐらいに、主との思い出は実はとんでもなく美しくて、大切で、優しいものだったのだ。
ああ、思い出したくなどなかった。従者として生きる自分という存在の根幹が崩れていく。
伊達家に仕える者として以外意味を持たない己という存在が消失してしまう。
触れる大きな手と、安らぐ穏やかな笑みと、優しい優しい声が、片倉を支配する。
まるで此所に、あの時のあの人がいるのかと錯覚するほどに、はっきりと感じることができる。
自分を初めて認めてくれた人。生きていてもいいのだと思わせてくれた人。人生を与えてくれた人。
もう石となってしまった。冷たい無機質なただの、物体になってしまった。
二度とお目にかかることもできぬ。
あの時代は遙か昔に失われていたけれど、思えばただ挨拶を交わすだけで、穏やかに一人の人間としてゆっくりと
生きている姿を見るだけで、それだけで充分に幸せだった。
どうして、嗚呼どうして、こんなにも、こんなにも未だ、俺は。
気付けば片倉は落涙していた。
少年の日に回帰することを許された男は、ただ愛した人の死を嘆いた。
そこには、伊達のためには最高の選択だっただとか、客観的な思いは全く存在しなかった。
あるのは、大きな哀しみと、虚無感。明らかな欠如。
生きていてくれるだけでよかったのに、それすらも叶わぬなんて。
(置いて、いかないでください、輝宗さま)
永遠に喪失してしまった後になって、己の無様な未練たらしい思いを改めて知るのは、死にたいほどに辛かった。
追い腹を斬ることも許されはしない自分が、ひどく矮小で取るに足らない男に思えた。
どうせなら自分が謀反でも起こしてあの人を殺し、政宗にずたずたに切り裂かれればよかった。
貴方を殺すことも、愛することも、救うことも出来なかった。何も、出来なかった。
あなたは俺に何でもしてくれたのに、俺は何も、出来なかった。
この日、片倉の中で、ひとつの感情が死んだ。
その温かな感情の骸は、輝宗の墓に花と共に供えられた。
果たして自分は、今の主が死んだときも同じように泣くことができるのだろうか、と落日を見ながらそんなことを思った。