蒲鉾は織物を幾重にも巻いたようで、昆虫の繭にも似ている。
舌の上に乗せると所在なく、そのままつるりと喉を下っていきそうだ。
茸の形は千差万別で、食膳に乗っているのを見ているだけで面白い。
いざ口に運んでも笠が大きいのは舌先や歯に引っかかったり、芯がわりかし硬いものは
中々砕きづらかったりと、食膳に乗る茸ごとにまるで違うのでやはり面白い。
馳走といえば魚や山鳥だが、魚は小骨が刺さるのであまり好きではない。
どんな高級魚も身がぼそぼそとしているので唾液が少なくなっていけない。
鷹の肉はもっと難儀だ。野草や漬け物と違って勢いよく噛み切れないので、必要以上に咀嚼しなければならない。
同じ食物でも摂取するのに時間がかかるのは非合理的だが、皆は動物が食べられるとなると童のように歓喜するので、普段の何倍も食すのに暇が掛かる夕餉を無碍にはできない。
大事な戦の前であれば白米も炊いてやる。白い米だ、と涙を流してがっつく若い兵を見ていると、珍しいからとは言え酔狂な奴等だと思う。
己が若い時分は白米を振る舞われる立場であったが、水分が多いだけでべちゃべちゃと鬱陶しい白米を好むことはなかった。
玄米や乾飯のほうが食べたという気になるし、もっと言えば雑炊にして野草や海藻なんかと一緒に掻っ込んだ方が栄養面にいいし、何より効率的だ。
若いのは特に、とかく塩をかけたがる。味が薄いと食った気にならねぇんです、と言い言い塩漬けなんかを頬張っている。
それならばと胡瓜なんかに多く塩を振るとそんなに振っちゃあ辛くていけねぇです、勘弁してくださいと泣かれてしまう。
主に言わせると俺はめっぽう味音痴で、小さい内から料理に走ったのも俺が原因だとさえ言うのだからそうなのだろう。
何でも器用にこなす男なのに料理だけは駄目だな、と愉しげに言いながら厨に立つ若い主は、老体には眩しい。
男子厨房に入らずというのが基本で、男子ながらに美食を愛し自ら料理を振る舞うのは本当に主ぐらいのものなので、
俺自身は食に関してそんなに不便は感じない。
一度南蛮から取り寄せたという香辛料の毒味を仰せつかったことがあった。
他の毒味役はこぞって舌が焼ける、辛い辛いと喚いて話にならぬと聞いたが、一口舐めても大ぶりな粒がざらつくだけで何と言うこともなかった。
平然としている俺を唖然と見ている周囲を訝しみながらも、結局其れ自体に毒はなかったので俺の味音痴もたまには役に立ったといったものだ。
その時も主は、たまげたぜ、流石は俺の右目だと笑い転げた。
本当に辛くないのですか、と異形の怪物でも見るような目つきで聞く下女たちに、ああと頷くと矢張り片倉様ほどの御方は舌も鍛え抜かれておられるのですねと
戯けたことを言った。
辛い、という言葉自体俺にはよくわからぬ。同様に甘い、渋い、苦いというのもわからぬ。
ただ干し柿は甘く、魚の腸は苦い、という知識はある。茄子は甘く牛蒡は灰汁が強い、葱はそのままだと辛い。
食物の素材と調理法ごとに決められた表現があるのだと俺はかなり早い内から気付いていたので、今も覚えた通りの言葉で食い物を表現している。
しかし一生も半ばを過ぎた今になっても旨いという表現だけは解せない。
旨いという言葉は、いつ、どのようなときに、どんなものを出された場合に言えばいいのか、俺は教わり損ねてしまった。
幼い頃に何度か父上や姉上に訊ねたことがある。
だが答えは皆示し合わせたように「旨いと思ったときに旨いと言えばよい」の一辺倒だった。
それに皆、妙なことを聞く子だと必ず言うので、俺はいつしか訊ねるのをやめてしまった。
それでも最近になりやっとどういう食事が「旨い」のかということが少し分かった。
紛いなりにも相手が心を込めて作った料理はみな「旨い」のだ。
旨いという言葉には、料理の作り手や食材に対する感謝と畏敬の念が篭もっている。
主が振る舞った料理を食べた客人や兵士たちはこぞって旨いという言葉を使う。
美味にございます、このように旨い料理にはなかなか巡り仰せない。表現は違えども皆そう言って褒める。
言われた主は当然だと笑う。俺が主の手料理を旨いと言えば幸せそうに微笑む。場は戦国乱世とは思えぬほどに凪いだものになる。
また手ずから育てた野菜を旨い旨いと言ってもらえると俺の心も凪ぐ。
旨いというのは辛いとか、甘いとかいう類の言葉とは似て非なるものであるのだなと知った。
きっと他の者はもっと早い段階でそれを知るのだろうが、この年になって知ることができてよかったと思う。
遅かれ早かれ、旨いという言葉の真意を知らずに死ぬより、知って死んだ方がずっといい。
ときたま主が焦がした魚にも旨いと言うと、見え透いた世辞なんざいらねぇと機嫌を損ねることがあるのだが、
貴方様がその手で作られた料理なれば全て旨いのですと答えれば、溜息を吐いて新しい魚を持ってお出でになるので、問題はない。
だが昔に、旨いというのはどういう時に言えばいいのかと誰ぞに訊ねたとき、
本当に旨いものは口に入れた瞬間に、自然と腹の底から旨いという言葉が、太古の昔から身体に根付いていたみたいにして零れ落ちるのだと聞いたことがある。
今生の内に、そういった食材には出会ってみたいものだ。
願わくば、己の田畑からそんな幻のような野菜を生み出してみたいと、出過ぎたことも考えている。